一人暮らし歴が長くなると今までできなかったことができるようになる。単純に、家事や料理もそうだし、一人行動が苦じゃなくなる。
しかし、一人暮らしを始めた当時は社会人なりたてで、しかも地元から遠く離れた北陸の地が勤務地だったこともあり、少々心細い気持ちもあった。
想像してほしい。いきなりすべての人間関係をリセットされるのだ。
それは思ったよりも孤立感があり、大げさでもなく異国の地で生活を始めたぐらいのギャップがあった。周囲の見渡す範囲どころか、向こう数百キロに知り合いがいないのはなかなか体験できないだろう。
初めのころは、休日になってもどこかに出かけるといったこともできず、近所のスーパーとイオンのような大型商業施設をめぐる日々を過ごし、食事はすき家や王将などどこにでもあるチェーン店をさまよい過ごしていた。
そんな腐った休日を過ごすことに限界が来た時に、せっかくだから近所の美味しそうな店を片っ端から行ってみようと、行動に移せたときに少しだけ自分の殻を割ることができたんだと思う。
そんなこんなで数年一人で過ごすうちに、持ち前の明るさと、人当たりの良さ、そして人を引き付ける不思議な魅力があったおかげで、近所のオヤジがやってるぼろぼろの居酒屋にもいきなりいけるぐらいになることができた。
あるとき、仕事で知り合った人から富山県のお勧めの店を教えてもらった。富山県のグルメといえば何があるだろう。ブラックラーメン、白エビ、寒ブリ、、、いろいろあると思うが僕があえて誰かにお勧めするなら「もつ煮込みうどん」 と答えるだろう。
その店はどうやら結構な老舗らしい。平日の昼間であろうと相当な込み具合であった。僕は夜の比較的すいてる時間を狙ったのだが、それでも席はほぼ埋まっていた。
店構えは、どう見ても老舗。雰囲気もあり、昔から変わらずここにあるのであろう存在感。周囲の街並みと、その店の雰囲気とのギャップに違和感を感じるほどに歴史の重みがある。
でも、一人暮らし玄人の僕にはそんなの関係ない。少々気圧されているのを誤魔化しつつ、こんなのいつも来てますから、といった雰囲気を装い店の暖簾をくぐる。
「いらっしゃい」店の大将であろうオヤジに声をかけられた。僕は黙ってうなずく。そして、「あぁ、店の中はこんな感じなのね」 と、心の中で声を出し余裕そうに店の中を見渡す。
一人席のカウンターに座ろうと、歩き出そうとした瞬間に「食券先に買ってね」
まだ、大丈夫
僕はすかさず、「あぁ、ここはそういう店なんだ」 と、心の中で自分の何かを保つためにつぶやく。券売機のところへ行き、メニューを見る。シンプルなもつ煮込みうどんを選び、大盛りにできないか探してみるがボタンはどこにもみあたらない。
そこで、今までの失いかけた何かを取り戻すかの如く「あの、大盛りってできないんですか?」 と、聞いた。たくさん食べることが正義ではないが、自分は豪快さもあるというところを見せなければいけない。決して無理をしているわけでもないし、本当にそれが食べたくてその質問をした。
「うち、そういうのやってないんで」「足りなかったら、ごはんも注文してください」
僕は「あ、はーい」 と答え、もつ煮込みうどんとライスを選び席に着いた。食券を渡すときに、毅然とした態度でいることが精いっぱいだった。
カウンターの席は大将の調理している手元が見えていい場所だった。先ほどまでの恐ろしさが、頼もしいぐらいにきりっとした顔つきで鍋を見つめる。そして、タイマーの音が聞こえたタイミングで、もつ煮込みうどんの鍋をあげる。そして、次の鍋をコンロに置き、タイマーをセットし火を付ける。それの繰り返しだ。
「あれ、大将の仕事量すくなくない?」
そう感じるのに時間はかからなかった。絶妙な火の通りを見ているのだろうとも考えたが、そうでもない。すべてキッチンタイマーを使っているのだ。コンロが10口あればキッチンタイマーも10個ある。
でもだとしたら、なぜあんなにきりっとした顔で鍋を見つめているのだろう。もしや、鍋の中に具材を入れるのがメインの仕事なのだろうか。メニューや、食材の水分量に合わせて味噌を入れる量を調整製るのかもしれない。確かにそれなら、難しかろう。素人ができるような代物じゃない。そう思い自分の気持ちを納得させていた時に、ふと店の奥の方が見えることに気が付いた。
そこにいたのはどう見ても大学生ぐらいの若いお兄ちゃんがいた。目にもとまらぬ速さで、食券の内容に合わせて、一人前の鍋を仕込んでいく。注文は次々に来るのだが、全く臆することなく、すべてさばいていくのがあまりにも鮮やかだった。
そして「この店の大将はバイトなんだ」 そう思うと、気持ちもなぜか軽くなり、もつ煮込みうどんも想像していた3倍は美味しく感じた。
汁もすべて飲み干し、席を立つときには「いやぁ、美味かったよ」「また来るわ」と背中で語る。「ごちそうさま」と、短くシンプルに声を出す。
入ってきた時よりも、堂々と暖簾を潜り店を後にする。
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